【万引き家族】を観た

 

6/14 Thu.

 

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万引き家族】を観てきた。

ネタバレあります。

 

公式サイト: http://gaga.ne.jp/manbiki-kazoku/

 

 

まず簡単にまとめる。

 

家族構成は、

父、柴田治(リリー・フランキー

母、信代(安藤サクラ

祖母、初枝(樹木希林

長女、亜紀(松岡茉優

長男、将太(城桧吏)

 

次女、りん(佐々木みゆ)

 

 

治と将太の見事な連携プレーでスーパーから万引きを行うところから映画ははじまる。信代も万引きをしてるし、亜紀は《さやか》という源氏名を名乗りながら風俗嬢(女子高生の服を着てミラーガラス越しに接客する)をしてるし、といったようにみんな犯罪に手を染めて、年金受給者である初枝とともに狭い平屋で暮らすのだった。

 

そんなある日、コロッケを頬張りながら家に帰る途中、治と将太はアパートの片隅で震える少女、ゆりに出会う。あまりの寒さに見兼ねた治は家に連れて帰り、コロッケを食べさせる。そして帰そうと治と信代は元のアパートを訪ねるが、「あんな子供、産みたくて産んだわけじゃない!」と叫ぶ両親の声を聴いてまた平屋に連れて帰る。

 

そんなある日、ゆりに捜索願いを出されたことをテレビのニュースで知った一家は(ここで少女の名前が本当はゆりではなく、じゅりであることを知る)、《りん》として少女を一家の一員として迎え入れることになる。ここからが物語のスタート。

 

 

映画というよりもドキュメンタリーを見ているような感覚が抜けなくて。そう思わせる要素としてはBGMがほとんどないんですよね。生活音だけというか。何かが起こるときにしか、映画としての音楽が鳴らなくて。しかもその音楽がまた素晴らしくて。音楽は誰がしてるんだろうって思って、最後のクレジットロールをみて納得。細野晴臣さん、流石。映画を観終わったあと、いかにこの映画における音楽が素晴らしかったのかを観に行った人と熱弁しあいました。

 

いろいろ言いたいことがあるので、ちょっとまとまらない文になるかと思いますが、ご容赦ください。

 

 

①話がリアルすぎる

 

この映画で取り上げているのは、タイトルにもなっているように《万引き》という犯罪。ここで万引きがいかに悪かどうかは置いときます。この映画においてその論点はあまりに愚問すぎるので。

 

手初めに、彼らは本当の家族じゃないんです。《犯罪》がきっかけにつながっているただの集団。映画の最後に明かされますが、治と信代は信代の元夫をともに殺すことで繋がり、信代曰く初枝は「捨ててあったから拾い」、その初枝は初枝の元夫と愛人の元に生まれた孫である亜紀も一緒に連れてき(亜紀の本来の家族は亜紀のことを「海外留学に行っている」から家に居ないと話す描写あり)、パチンコ屋の車で置き去りになってた将太(将太という名は本当は治の本名であり、少年には本当の名前が他にある)を彼ら曰く、保護して《家族》ができた。

 

そしてそこに《りん》という家族が増えた。

 

万引きだけではなく、初枝が亡くなったあと、火葬や葬式をするお金のない一家は家の畳の下に初枝の遺体を埋め死体遺棄をするし、その後も年金の不正受給をするし、本当にさまざまな犯罪に手を染める。

 

これって実際問題、あってるんじゃないかなと思うんです。だからどこかフィクションのように思えないし。

 

でも不思議なのは、《万引きをする=貧しい》という方程式がわたしの中にはあるんですが、初枝が「私の年金をあてにしてるくせに」といった発言があるものの、治と信代は働いてるわけです。ということは年金である、6万円を完全に頼りきってるわけではないのだと(まあ、終盤はお互いに働かなくなりますが)。カップ麺やチョコレートなどの食材やシャンプーなどの日用品は万引きをして手に入れてるのに、コロッケはお金を払って買うんだなという違いがあったり、そのあたりの矛盾が実に興味深いなと。

 

 

 

②俳優の演技が上手すぎる

 

それぞれにそれぞれの過去を背負いながら《家族としての機能》を果たそうとする。そこにぶつける確かな熱量のある俳優を起用してるのがすごい。

 

「俺は万引きしか教えることができなかった」と警察に語る治の気弱さと、それでも息子を純粋に愛したかった愛深さは間違いなくリリー・フランキーが演じるべきだと思わざるを得ない。

 

りんが万引きを一人前にできるようになるまで将太とペアを組ませていたのは父親としての役割を果たそうとしていたんだろうし、将太がりんを邪魔だと言ったとき「りんだって何かやってないとここに居られないだろう」と返答したのもフラフラしているようで周りを見る力があったからだろうし。ちゃんとした父親に、なりたかったんだよね。

 

将太の万引きが失敗して、警察に捕まったとき真っ先に夜逃げをしようとした(未遂で終わるが)ことを警察伝手に聴いた将太から「僕を置いて逃げようとしてたの?」と尋ねられたとき、嘘をつこうと思えばつけるはずなのに「そうだよ」と認めるところは父親としては最低だけど、一人の人間としてはしっかり真実を伝えたから憎めない存在であることがわかる(しかしあくまでこれは赤の他人だから言えることも確か)。そこで将太の治に対する信頼は失ったことは確かだけど、彼は人として将太に最後まで嘘をつきたくなかったのだろうと思う。

 

虐待を受けて、身体的にも精神的にも深い傷を負っているりんに対して、「大好きだと思ったらね、《洋服を買ってあげるよ》って言ったり、叩いたりするんじゃなくて、こうするんだよ。ギューッと抱きしめるんだよ」ってまっすぐの愛を伝え続ける安藤サクラ演じる信代の母親は紛れもなく実の母より母親だった。

 

「産めば母親になるんですか?」と警察に訴えかける目には一つも迷いはなかったし、「子供は親を選べないけど、りんは私たちを選んだんだよ」と初枝に言う信代はうれしさも照れ隠しも含んでて愛おしい立派な母親だった。

 

治も信代も子供たちから《お父さん》《お母さん》と呼ばれることはなかったけど、それでもちゃんと家族だった。「あなたはなんて呼ばれていたの?」と警察に聴かれたときの表情だったり彼女が彼女の全身からしぼり出した答えは安藤サクラだからこそできたのだと思う。あのシーンだけに別途料金を支払いたいくらい。

 

そして信代が《母親として》最後にしたこと。それは刑務所の面会室にわざわざ将太を連れてくるよう、治に指示する。そこで信代は将太を拾ったときのことを語りかける。拾った場所、拾った車の車種、ナンバー。早口ながらも伝え切って、最後に「将太が本気を出せば、本当のお父さんとお母さんに会えるんだよ」と告げる。「お前、それが言いたくて将太を呼び出したのかよ」と困惑する治を片目に置きつつ、「私たちじゃ、だめだったんだよ」と本当は自分も口に出したくないし、思いたくない、そんな言葉を、悲痛の叫びを投げかけるのだった。そこがつらくて、つらくて、ね。

 

 

子役の二人も素晴らしく光ってたし、初枝も亜紀も間違いなく大きな存在感を発揮していた。

 

いろいろなメディアで是枝監督の演技指導の方法は取り上げられていたけど、子役の二人の演技力は本当にすごい。ナチュラルにその役になっている。

 

最初はりんを拒絶していた将太は思春期ならではだし、赤の他人であるはずの二人が徐々に「お兄ちゃん!」「りん!」と慕う間柄になっていく過程も美しかったし、りんを守るために自ら警察に捕まることを決心した将太は立派な《人》になった。

 

「家で勉強できないやつが学校に行くんじゃないの?」と淀みもなく訴えかかるところは胸を締めつけられたし、日常的に万引きをしていた駄菓子屋の店主(柄本明)から「妹には(万引きを)させるなよ」と言われたあとから考え方に変化をうませるのも上手だなとしみじみ思った。

 

少し話は逸れるが、万引きに疑問を抱きはじめた将太が信代に駄菓子屋の店主から言われた一言の真意を尋ねると、「店が潰れなきゃ、いいんじゃないの」という返答を受ける。それが疑問を疑念に変えたし、その後訪ねた駄菓子屋が《忌中》という貼り紙が貼られて店を閉じているところをみて明らかに将太の考えを変えさせたきっかけの一つであっただろう(ここで将太が《忌中》の意味を知らず、違う意味として捉えたはずだけど、その演技も素晴らしかった)。

 

「いいことあったの、おばあちゃんには言うね」という亜紀は甘える対象が一つあるから弱くて脆い立場でありながらも立ち続けていれたんだし、おばあちゃんを亡くしてからの虚無感だったり、ポッカリ空いた喪失感を演じきれたのは松岡茉優だからだと思う。

 

警察から初枝が絶えず、亜紀の実家を訪ねてお金をもらっていた話を聴いて「おばあちゃんは私を大事にしてくれてたんじゃなくて、私の両親からお金をもらえるから一緒に住もうと言ってくれたのかな」と言う悲痛の叫びは苦しかった。それに加えて事件後、最初にあの家に帰ったのは亜紀だったし、その開いた扉から彼女は何を受け取ったのか、あの短い秒数の中でそれを巧みに表現する力があったのは松岡茉優の高い演技力があったからに他ならない。

 

 

この映画を観て、何を感じるかは人それぞれだろうが、わたしは今現在の日本が抱き続けている社会問題を巧みに表現しているなと感じた。

 

それを感じさせるために、きっと高い演技力を持った俳優を起用したんだろうし、素晴らしい音楽技術を持った人に担当させたんだろうし。でもそれだけではなくて、それらの根底にはいかに《自然にみせる》かどうかをこだわり続けた結果なんだろうと思う。

 

事件が起こるところにしか音楽を流さない、それ以外は生活音を起用することだったり、家族で海に行くシーンも、初枝はずっと砂浜からみんなを見るんだけど、海で家族並んではしゃいでいるその姿は間違いなく普通の、偽りのない会話をする家族であったし、平屋の家の汚さだったり物の多さだったりはあまりに自然すぎた。

 

その幾多の要素を踏まえて、《自然さ》を与えようとしたのか、是枝監督のこだわりがうかがえていいなあと思った。

 

 

あと最後に言いたいのはこの映画のキャッチコピーの素晴らしさね。

 

《盗んだのは、絆でした。》

 

 

 

何が幸せなのかどうかを自分で選ぶことがシンプルで難しいのだと痛感させられた120分の世界でした。