【恋は雨上がりのように】を観た

 

6/16 Sat.

 

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恋は雨上がりのように、を観てきました。

ネタバレあります。

 

公式サイト : http://koiame-movie.com/sp/#/boards/koiame

 

 

この作品は漫画→アニメ→実写映画という流れでメディア化が進んだのだけど、わたしはアニメを観ていて。アニメは全体的にキラキラしてて、その要素の一つに音楽が関係してるのかなと(主題歌はCHiCO with HoneyWorksとAimerだった)。

 

でも映画は最初から裏切られた。

あきら(小松菜奈)の全速力で駆け巡る疾走感を表すために冒頭はポルカドットスティングレイのアップテンポな曲だし、主題歌はフロントメモリーだし、神聖かまってちゃんだし、忘れらんねえよだし。「そっか、映画では疾走感をテーマにしてるんだな」って音楽からも伝わってきた。

 

 

あきらは17歳の女子高生、あきらが働くファミレス店長の近藤(大泉洋)は45歳。そんな2人の成長物語だと思うのです。ただの恋愛映画ではなくって。

 

あきらは陸上という大事な夢を手放すことになってしまって、そんなときに近藤に出会ったものだから恋愛に一筋になる。一直線というのは美しくて、でも時に暴力で。以前のわたしだったらきっとあきら側の意見に偏って観ていたんだろうけど、今のわたしは近藤側の意見に偏って観てしまった。いや、別にわたしにそういう経験があるわけじゃないけど(笑)、でもだからこそ近藤は大人だなぁと思うわけです。

 

 

「人を好きになるのに理由は必要ですか」

近藤と一緒に車に乗れてることに対してうれしい気持ちを抑えながら、また返答しにくい言葉を…って思うんだけど、

 

「僕と橘さんだと必要だと思うよ」

って優しく諭す近藤。人生の先輩として、年の功からそう言えるのかもしれないけど、上から否定するわけではなくてあくまで同じ目線に立って伝えようとしてるのかがわかる。思えば、あきらと近藤は同じ目線の高さに立って話すシーンが多かった気がする。気のせいかな。

 

この作品を通して、近藤はずっとあきらの想いを全面否定するわけでも全面肯定するわけでもないんですよね。人によってはどっちかに頼るもんだと思うんですが。だからこそ全面否定も肯定もしない近藤をすきになったあきらの理由が少しわかる気がして。

 

ラストまで近藤は否定しないんですよね、あきらの想いに。それは近藤自身の持つ性格なのかもしれないけど、そこが魅力的なわけで。あきらからすれば《大人》になるわけです。

 

でも、それだけじゃなくって。

まだ20代に足をかけたくらいのわたしですが、微力ながら大人はそうじゃないんだと思うようになったんです。子供だった頃のわたしは大人はかっこよくて、何でも出来て、クールで。そんなイメージを自分の意見として持っていた。だけど、成人して周りを見渡すと「あの頃思い描いていた大人になりきれていないな」と思うことが増えて。小学生からすれば中学生は《大人》だと思うし、中学生からすれば高校生は《大人》だと思うのと一緒で、そんな目線で見がちだけど実はそうじゃないんだろうなって。

 

だから、《あきらから見る近藤》とは別に《ちひろ(戸次重幸)から見る近藤》を描かれてることに大きな意味があって。

 

あきらとデートのひとつにカフェでお茶をするシーンがあるんですが、2人が座るテーブルの周りには若い女性2人組ばかり。でも、ちひろとサシ呑みをする2人の周りは若い男女のグループばかりで、そこが対照的だなと思うわけですが、その様子を見渡しながら近藤は「彼らから見たら俺らは《おじさん》なんだろうなぁ」と呟くわけで。

 

おそらくずっと引っかかっていたんだろうちひろは近藤に向かって「俺たちは《大人》じゃない。俺たちは《同級生》だ」って言う。そこがとてつもない魅力的なセリフだと思って。そっか、ここの2人の間に《大人》という要素は必要ないというか、存在していなくて、ずっと《同級生》の延長線上なんだということに気づくんですよね。そして、そう言える存在はかけがえのない存在なんだろうなと思うわけで。

 

 

あとね、あえて言わせてもらいたいのが、実写化《なのに》再現度が高いということ。あえて《なのに》って言葉をつけたけど、監督のインタビューかなにかで、「原作の実写化というのは、もうすでにファンがいるわけで、セリフのひとつ・シーンの細かな演出ひとつにとってもこだわり抜かなければしてはならない」といった旨のこだわりを持っている方で、本当に細かなところまで原作そのままなんですよね。キャスティングもそうなんですが、近藤を演じた洋ちゃんからも「ここまで一緒じゃなくて良くない?と思うほど、セリフの言い回しや語尾を変えることも許されなかった」と言ってたのでこだわりは尋常じゃないほどだったんじゃないかな。だからこそ実写化でも安心して観れたというか。

 

 

アニメの7話(あきらが風邪をひいた近藤の家に見舞いに訪ねるシーン)がものすごくすきなんですけど、そこが完全再現されてて本当にうれしくて。

 

それまで近藤はあきらと接するたびに「世間体」だったり「援助交際」だったりを気にしてたけど、このときの近藤は風邪をひいていたし、台風のような雨風の中、あきらは家まで来たわけで、それらの要素がなかったらきっと家の中に招き入れることはなかったと思うの。それは《大人》としてもだし、《あきら》のため、そして《自分》のためにも。でもそのハードルを優に超える要素が重なって、そのシーンが生まれたんじゃないかなって。

 

 

ここで近藤は自分の想いをあきらに伝えるんだけど、最初はきっと《大人》としての近藤の気持ちで。でも、徐々に言葉が変化していくんですよね。お互いに「素敵」という言葉で表現し合うのが美しくて美しくて。余談ですが、洋ちゃんの主演作の【駆込み女と駆出し男】でも「素敵」という言葉がキーワードで、学問を学べる状況下にいなかったじょご(戸田恵梨香)に「素敵とは、素晴らしくて敵わないことを言うんだ」と信次郎(大泉洋)は教え続けるんですね。そこのシーンと重なって見えちゃって。

 

 

お互いに思っていることを吐き出すシーンは、あきらの目線に立てば、あきらの店長に対する想いは嘘偽りなくて、それを受け取ってもらえない返答は聴きたくないわけで。そりゃ泣いちゃうよね。しぼり出す「迷惑ですか…?」の声が胸を締め付けた。それを受けて、「迷惑なんかじゃない。むしろ、感謝してるんだ」と言う近藤の想いに嘘はなくて。あぁ、だからあきらは近藤をすきになったんだし、あきらは近藤のような素敵な人と出会えてよかったねって思える。

 

きっとわたしがあきらと同じ歳でこの映画を観てたら、近藤の言う台詞に疑問符をつけていただろう。でも、彼の言う台詞の本質が少しわかる今のわたしは、近藤がいかに真摯にあきらと向き合っているかがわかるんですよね。あぁ、なにこれ、もう切ない…

 

そしてあきらが近藤に抱きつくシーンは、アニメだったら近藤があきらを抱きしめるんですよね。そこがなんとも言えない(叫びたい)気持ちになるので、もしよろしければ、是非観て(圧力)。

 

それに加えてもう一つ。

「この感情を恋と呼ぶのはあまりにも軽薄だ」

がどこで使われるか。アニメでは近藤があきらを抱きしめるシーンで近藤の胸のうちとして語られるんですが、映画では彼の小説として使用されていて。やっぱりいい台詞だ。

 

 

台詞といえば、近藤が話す言葉に重みを感じるんですよね。

 

「そうしたいと決めたのなら、いい。前に進めるから。でももし、諦めだとしたら、立ち止まってしまうんじゃないかな」

 

あきらに向けて言った言葉だけど、それはきっと自分にも言い聞かせた言葉。ずっと「中途半端」だと自分のことを言うけど、一直線に進める人なんているのかなと思うんです。また奮い立たせたい人が目の前にいて、その人に向けながら掛けた言葉が結果的に自分も奮い立たせていたということなんだろうけど。なんかズシっときました。

 

 

それとちひろと小説について話すシーン。

 

「中途半端で、諦めきれてないだけなんだよ」と語る近藤に対して

 

「それは《執着》というんだ。そう言ったほうが聴こえがいいだろう?」

 

と答えるちひろがすごく良くて。小説と結婚したというけど、結婚ってゴールじゃなくてそこからがスタートだから、「俺も執着してるからなぁ」と本を見ながら話すところとか良すぎてね。言葉の力がすごいな。

 

 

ラストもどう描くのか気になってたんですけど、ものすごく美しかった。嬉しいことがあったら報告したい相手って限られるじゃないですか。偶然会ったとはいえ、これまではあきらが一方的にぐいぐい行くしかなかった状況も、近藤にとって嬉しかったことを近藤の口から話してくれる。あきらにとってこれほどうれしいことってないと思うんです。だから最後のあの言葉に繋がるんだろうし。最後の最後まであきらの想いが否定されずに進んでよかった。

 

 

 

ここからは余談です。

 

 

アニメのときも思いましたが、あきらの色っぽいシーンがいくつか出てくるたびにヒヤヒヤする自分がいて。何ですか、あの部屋着。何ですか、あの哀愁漂う感じ。小松菜奈ちゃんの持つ美しさに触れていいんですか。罪悪感すら感じるぞ…?(謎の親目線)

 

 

そして、近藤のひどい言われよう(笑)。くさいだの、おっさんだの… 可哀想すぎる… 大丈夫だよ、店長… 十分素敵だよ…

 

 

近藤が息子を連れて靴屋さんに行ったり、海で走るあきらと息子を遠くから眺めるシーン。パパ感がありすぎてもうほんとしんどかった…(語彙力)すっごいパパ… あたたかい眼差しが最高すぎるよ…

 

 

そしてなんと言っても近藤とちひろのシーンね。自然体すぎて、洋ちゃんとシゲさんの2人が呑んでるところを映画館のスクリーンを通して見させてもらえるとかありがたいの極みですよね…? そんな世界が来るなんて誰が言いました…?

 

 

お気づきかと思いますが、わたしは洋ちゃんがだいすきなので贔屓目で見てしまうんですけど、この作品、夢が溜まりすぎてるんだと思うんです。詰め込みすぎていいんですか…?って思うほど入り込んでる。タバコを吸うところとか、風邪で寝込んでる姿。普段、見れないじゃないですか。そういう、ラフっぽさだったりに触れてくれてほんっっっとうにありがとうとしかお礼を言えない… タバコを吸う手が色っぽい…

 

手が色っぽいと言えば、小説を書くシーンね。聴くところによると、あの小説を書いてるの、洋ちゃん本人らしくて。洋ちゃんの字って達筆で、字を書く手をみるだけの時間が与えられてるとか…(泣)しかもインタビューで「字を書くところがスクリーンに映るということで、字の書き順とか必死に見直しましたよ。そりゃあ「あ!あいつ書き順違ってやんの!」とか思われたくないじゃないですか!必死で見直しましたよ!」っていう洋ちゃんの可愛さよ… なにそれ… そのシーンを是非メイキングに落とし込んでください…(土下座)

 

それに加えてシゲさんのお料理するシーンも素晴らしい… 慣れた手つきで卵かき混ぜてる… わたしの分も作ってほしいだなんてそんな図々しいこと言えるわけないけどしんどい… キッチンに立ってる姿を見た瞬間、叫びたくなったけど必死で抑えたよう… 料理できる男性って素晴らしいね…

 

 

 

パンフレットもお洒落でした。

全体的に美しい世界観そのままに表現されていて、観終わった先もずっと一緒に進んでいけるように思えました。良い作品でした。