『1ミリの後悔もない、はずがない』を読んだ

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『1ミリの後悔もない、はずがない』(一木けい / 新潮社)を読みました。

 

 

誰しもが抱えている、《あのときこうしていたら》という後悔。その一つの判断があったからこそ、今現在のわたしがいる。それは分かっているのだけど、もし、仮に別の判断をしていたとしたら。何か、変わっていたのだろうかとふと考えてしまう。

 

わたしは《たられば》が嫌いだ。

 

そう思わなければ、気を抜くとついついたらればありきで物事を考えてしまうから。自分で決めたことくらい、自分で責任をとりたい。

 

 

そんな決意をいつからか固めていたのに、容赦なく突き刺してくる、言葉の数々。後悔がブワッと呼び起こされる、不思議な感覚。久しぶりに味わいました。いつも本を読むペースは速いのだけど、どうしても言葉ひとつ、見落としたくなくて時間がかかりました。その分、揺さぶられた感情は膨大。

 

やっぱりどんなに考えてても、後悔って消えないんですよね。ふとした時に絶対浮かぶ。それを肯定も否定もしない。それがこの本の醍醐味であるように思えました。

 

きっとみんな、考えて考えて考え抜いて、その結果を受け入れてるんだろうなあ。それは大人、子供に関わらず。

 

ああ、だめだ。傷口を開かれる。

 

 

何度も何度も今のわたしにとって必要な言葉が並べてあって、鳥肌が立ったり、涙が出てきたりした。うーん、なんだろうこの感覚。

 

個人的に響いたのは、p.104です。

 

絶望には二種類ある。何かをうしなう絶望と、何かを得られない絶望。

私の絶望はいつも後者で、手に入らないものを渇望するのは、本当に屈辱的なことだと思っていた。

(中略)

何かを得られない絶望の方が、断然マシだ。すでにあるものをうしなう痛みよりは。

うしなうのは怖い。自分の平和な今が、一瞬にして変わってしまうことだから。

 

 

まさにこの通りだと。ここまで自分の根底にある意思を具現化されたのは初めてだったので衝撃的でした。

 

自分のメモのために書きますけど、p.217-8もすきだった。それまでどういう意味なのかわからなかったことも、成長して《ああ、そういうことだったのね》と気づく瞬間がすきです。

 

 

良い時間を過ごしました。

読了したあとは放心状態で動けなかったけど。でもそれは本から得られた結果でもあるから、心地よいつらさですね。できることなら後悔せずに生きたい… けど無理かなぁ…